介護の仕事が自分の天職だと感じられ、日々利用者さんに、その人らしく生活してほしいと願うRさん。しかし、グループホームの管理者をしていた当時、周囲の介護職はそこまでの使命感を持っていないと感じていたそう。職場で孤独感を感じたとき、Rさんがとった行動は? 第3回目は、「つながること」の大切さに気付いたRさんの行動をお伝えします。
*R・Mさんの「私が転職した理由」…1回目、2回目、3回目、4回目(最終回)はこちら
R・Mさん(35歳)のプロフィール・転職経験
●介護業界歴…14 年
●介護の仕事に就く前…書籍物流会社OL、アパレルの販売員
●転職回数…4回
●いままでの勤務先…老人保健施設、小規模多機能型居宅介護
●保有資格…介護福祉士、介護支援専門員
介護職同士、横のつながりを持つことが大事
職場では、私はちょっと変わった人として扱われるようになりました。人と違うことをやると、嫌われるものですね。それが正しい介護だとしても、煙たがられます。事業所の中で、同じ目線で話せる人がいなくて、閉塞感を感じ始めたとき、「この小さな職場の世界だけに、自分を埋没させたくない」と強く思いました。
介護職は、もっと横のつながりを持ったほうがいい。広く視野を持つと、すばらしい人たちがいることに気付きます。同じ感覚を持って仕事に臨んでいる人もいます。そういう人たちとつながり、自分を高めていかないとつぶれてしまうな、と感じ、介護関連の一般のセミナーや、専門職が集まるような勉強会に積極的に出るようしました
ちょうどそのころ、東日本大震災が起こりました。東北に住む高齢者や介護職への思いも強かったですが、現実問題として、自分が働く関東のデイサービスの電源も落ちました。そうなると水を飲むこともできず、困り果てました。
同僚は、途方に暮れるだけ。私があちこちに連絡をし、食料や水を確保しました。職場の中だけの人間関係で集約してしまっていると、いざというときに何もできないんだな、と痛感しました。やはり、職種や地域を超えて、「つながり、助け合う」ことは大切だと、心から思いました。
立ち上げから小規模多機能型居宅介護に関わる
その後、認知症型グループホームの管理者を2年やったあと、うちの法人で、小規模多機能型居宅介護を立ち上げることになりました。この立ち上げのメンバーに加えてもらえることになり、また仕事への意欲が持てるようになりました。
在宅で最期まで暮らせるように、訪問介護、デイサービス、そして時には泊まりと、利用する人の目線でサービスを提供するのが、小規模多機能型居宅介護。「パーソン センタード ケア(その人を中心としたケア)」をそのまま体現しています。
ここでこそ、自分が理想としている介護ができる。勉強会で知り合った私と同じ思想を持った介護業界の仲間たちも、小規模多機能で活躍している人は多いです。自分も、ここで介護を突き詰めていきたい。その思いを実現でき、一から作り上げるチャンスをいただけたことに、感謝しました。
建物を建てるための申請や、地域の人たちへの挨拶から関わりました。地域と自然に交流できるように、最初からいい関係を築いておこうと考えたのです。建物に関しても、外壁は何色がいいかなど、相談できたのもうれしかったですね。テーブルやいすの形状、高さなども細かく計算し、ベッドなども機能を熟知した上で比較し、吟味して購入しました。
サービスがスタートしてからは、管理者として勤務しました。経理も見ますし、職員教育にも携わります。自分なりに理念を持って、メンバーにも伝えていきました。
ところが、スタートして1年たつと、上司が変わりました。以前の上司とは、まったく違うタイプ。認知症の利用者さんは、体や脳をしっかり動かして、認知度をよくしていくのが当然なのですが、その上司は「事故が起こらないように、なるべく動かさない」といった具合に、守りに入ってしまう。料理も危ないからやらせない、と。介護の中身がこれまでとはまったく違う。話し合うのだけれど、まったくわかってもらえないばかりか、「あなたに任せたのが間違っていた」などと言うのです。全否定され、気持ちの行き場を失い、もう辞めようと、心に決めました。
次回の最終回は、あらたな小規模多機能型居宅介護に自分を賭けるRさんの姿をお伝えします。
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