◆デイサービス(正社員/生活相談員)→介護老人保健施設(正社員/支援相談員)→リハビリ特化型デイサービス(パート/介護職・受動運動担当(カイロプラクティック))・カイロプラクティック事業所(パート/施術スタッフ)
W・Fさん(女性・50歳)
●デイサービス(勤務期間:1年/月収手取り約15万円)
●介護老人保健施設(勤務期間:3年/月収手取り約30万円・ボーナス約45万円×年2回)
●リハビリ特化型デイサービス(勤務期間:5年/月収手取り約9万円)
保有資格:社会福祉主事任用資格、カイロプラクター(民間資格)
家族構成:夫、長男、長女
*W・Fさんの「転職 成功・失敗 体験談」…1回目、
2回目、
3回目、
4回目(最終回)はこちら
【就職】一度はあきらめた福祉業界
大学の福祉学科に通い、福祉の専門家を目指した
障害福祉の専門家になりたくて、大学の福祉学科に通っていた2年生のときに、父が亡くなりました。その後の私の役目は、病弱で働けない母を支えること。
障害者のための住み込みの施設で勤務したいという夢がありましたが、大学卒業後は夢をあきらめて公務員になりました。社会福祉主事任用資格が取れたので、児童館に勤め始めました。
けれど、児童館は職場の雰囲気が肌に合わず、1年半で退職。
人材派遣会社で事務職をした後、人間ドック中心のクリニックで事務職として働くことにしました。
やはり、福祉や医療の現場で働きたいという思いが強かったのです。
結婚・出産後しばらくは在宅ワークが中心
ただ、2年働いたところで、クリニックで知り合った技師の方と結婚することになり、退職することに。
以後、2人の子どもが生まれ、なかなか外で働くことができず、在宅でお小遣い稼ぎのような仕事をしていました。
母とは離れて暮らしていましたが、いくつか持病がある母は治療にお金がかかるため、小さな子どもがいてもやはり私が何かしら働いてお金を仕送りする必要がありました。
【はじめての介護の仕事】デイサービスの生活相談員
契約のほかは利用者さんとお茶を飲んでいればいいって本当?
上の子が中学生になるころには、もう少しお金を稼ぎたいという気持ち、そして、やはり福祉や医療の仕事がしたいという気持ちが沸き起こり、介護の仕事を探し始めました。
そこで見つけたのが、デイサービスの生活相談員の仕事です。
社会福祉主事の資格が生かせるということですが、どんな仕事なのか、当時の私にはまったくわかりませんでした。
それでも面接に行くと、「うちを利用してくれる方との契約をする仕事です。それ以外は利用者さんとお茶を飲んで話をしてくれていればいいんです」と言うのです。
そんな楽な仕事ってあるのかしら、と思いながらも、興味津々で勤めることにしました。
計画書の作り方がわからない!
ところが、介護現場はそんなに甘くありませんでした。
介護のことを全く知らない私を、現場の介護職の人たちはバカにしたような目で見ていました。
デイサービスの生活相談員は、利用希望の方にサービスの内容などを説明し契約をする、利用者さんやご家族からの苦情に対応する、新規の利用者さん獲得のために営業をする、事業所内全体を見渡して円滑に事業が展開されているかの判断やサポートをする、時には経営にも参加する。
仕事の範囲がとても広いのです。
しかも、このデイサービスにはケアマネジャーが不在。
そのため、生活相談員が計画書を作るように就職してから指示されましたが、つい最近介護の仕事を始めたばかりの私には、計画書作成の経験などありません。
「計画書って何?」という無知な私を笑う人がいても、仕事を教えてくれる人はいませんでした。
産休に入った施設長の代わりに私が雇われたのですが、引継ぎも教育もなし。
「お茶を飲んで話していればいい」と面接の時に言われましたが、実際にはのんびりしている暇もありません。
結局、看護師の方に手取り足取り教えていただき、なんとか計画書を作れるようになりました。
理念には共感できたが、お給料が安い
そのデイサービスは、経営者の理想がとても高く、「少人数の利用者さんに、手厚いサービスを。」という理念にも共感できました。
しかし100人くらい過ごせる場所に15人の定員では、家賃コストばかりかかります。
生活相談員は経費もチェックしていたので、「こんな経営でよいのか?」と疑問を持ち、進言したこともありました。
けれど、理想を高く掲げた経営者は、「これでいい」とききません。
手厚いサービスの一方で、職員の給料は低く、私のお給料は15万円以下、ボーナスもありません。おまけに、休日出勤や残業も手当がつきませんでした。
母の医療費や生活費に加え、子どもたちの教育費も増えてきて、このお給料ではやっていられなくて、1年ほどで転職先を探すようになりました。
【介護業界1回目の転職】介護老人保健施設の支援相談員に
経営が安定した介護老人保健施設だと安心
転職を考えているときに、知り合いのケアマネジャーから紹介があり、介護老人保健施設(老健)の職員募集を知りました。
医療法人が母体で、経営的に安定していることがわかっていたので、渡りに船と思って転職しました。
転職先の老健では、支援相談員として働くことになりました。
老健の支援相談員とは、老健でリハビリをして在宅復帰を目指している利用者さんが自宅にスムーズに戻れるよう、支援する仕事です。
とてもやりがいがあり、意欲に燃えて入職しました。
在宅復帰とは名ばかりの老健に失望
ところが、老健の実態もそう甘くないのですね。
老健とは在宅復帰を目指して短期の入所をするのが本来の目的ですが、実態は、ほとんど自宅に戻れない方ばかりだったのです。
数ヵ月で自宅に戻れる方は年に1人くらい。あとは何年も入所している、つまり特別養護老人ホーム(特養)の代わりに使われているようなものでした。看取りも経験しました。
本などで知る老健と、実態が違いすぎて、あ然とし、失望の中での業務。
また、老健は医師が理事長と決まっています。介護職がたくさんいるものの、看護師や理学療法士、作業療法士など医療関係者が業務の主体になっていました。
うちの老健はその傾向がとても強く、医師、看護師、理学療法士や作業療法士、その下に介護関係者と、ヒエラルキーができているような、私たち介護業界出身者は下に見られていたのを感じました。
仕事にむなしさを感じ、血圧が上がるばかりに
医学にうとく、医療の用語もわからないのでは、老健ではやっていけません。
入職してから、必死に医療のこと、在宅復帰のしかたなどを勉強しました。
しかし、看護師長がとてもきつい人で。
病状の悪い方を私が入居させると、
「なんでこんな人を入れるの? 職員が大変になるだけじゃない」など、あからさまに嫌味を言われました。
病状が悪い人を支援することこそ老健の役割なのに……と思っても、介護職の私が意見を言える立場にありませんでした。
理学療法士や作業療法士の方々は、リハビリに熱意を持ち、利用者さんへの支援にも非常に理解があるのですが、彼らは書類の処理に追われ、なかなかじっくり話すことができません。
自宅へ帰ることを目標に入所してきて、一生懸命リハビリをしているのに、帰れない。
言葉で励ましていても、スタッフが心の中で「帰れないよ」と思っているのを肌で感じるので、利用者さんも、モチベーションが下がります。
なかなか自宅へ帰れない利用者さんに泣かれたこともありました。
私はなんのために働いているんだろう。事業の収益のために、帰りたい利用者さんを帰さず、泣かせているだけなんじゃないのか――。
自責の念にかられました。
もともとは血圧が低かったのですが、老健で働くようになってから血圧はどんどん高くなり、上は300、下は190近くになったことがありました。
降圧剤を飲みながら出勤し、仕事中にはますます血圧が高くなるようなストレスを受ける……。
そしてついに、疲れ果てたある夕方、車で帰宅途中に、車が大破するほどの交通事故を起こしてしまったのです。
次回は、活路を見出した次の職場に移るまでのWさんの葛藤やその経緯をお伝えします。
<三輪 泉(ライター・社会福祉士)>
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